今年で講師として英語を教え始めて11年目を迎えました。
今、開校当初からずっと通い続けてくれている生徒さんの一人が、海外へ留学しています。
先日、その生徒さんから留学先の写真とメッセージが届きました。
現地の様子を楽しそうに語り、英語を使って現地の人たちと積極的にコミュニケーションを取り、笑顔で打ち解けている姿。写真の中の眩しい笑顔を見たとき、胸がいっぱいになり、幸せな気持ちで満たされました。
英語を教える仕事を続けてきて、生徒たちが「言葉の壁」を飛び越えて世界とつながる瞬間を見届けられること。これ以上の喜びはありません。
英語は、学校の成績を上げたり、英検などの資格を取ったりするためだけのツールではありません。もちろん、日々の努力が結果や合格につながることはとても大切ですし、しっかりサポートしています。
しかし、その先にはもっと広く、もっと自由な世界が待っています。
英語が使えるようになると、自分とは異なる文化や環境で育った人と対話し、その人の人生や考え方を知ることができます。学歴や立場に関わらず、さまざまな人と出会い、日本語だけでは出会えなかった知識や経験に触れることができるのです。
また、映画、音楽、スポーツ、歴史、科学など、自分が「好き!」と思えるものを海外の情報で直接調べたり、語り合ったりすることで、興味の世界は無限に広がっていきます。
英語を通して触れるものは、楽しいことばかりではありません。
世界各地の歴史や社会問題、戦争や宗教といった複雑なテーマについても、日本語以外のニュースや言葉に触れることで、新しい視点や多角的な見方に出会えます。
どの情報が正しいかを見極めながら「相手の立場に立って考える」こと。それは、これからを生きる子どもたちの視野と知性を、間違いなく豊かにしてくれます。
私自身、英語を話すときの感覚が大好きです。
使う言語が変わると、自分の考え方や表現の仕方が少し変わり、性格も積極的になり、日本語ではうまく言えない気持ちが素直に表現できたり、「私ってこんな風に考えて表現できるんだ」と新しい自分を発見したりします。語学を学ぶことは、「世界を知る」と同時に「自分自身を深く知る」旅でもあるのです。
この思いの根底には、私自身の家族の歴史があります。
私の祖父は、太平洋戦争中、17歳6ヶ月で志願して憲兵となりました。終戦直前の昭和20年(1945年)7月28日、柳井市伊陸(いかち)久可地にアメリカ軍機が墜落した際、搭乗員を柳井の憲兵隊へと連れて行き、取り調べに立ち会ったそうです。私が小学6年生のときに、その米兵が身につけていたパラシュートの話、平郡島沖での激戦、原爆なども祖父は語ってくれました。
かつては「敵国」として、命がけの情勢の中で向き合っていた時代がありました。
しかし今、私たちは日本語を母国語であり第一言語とし、日本人としての誇りを大切に抱えたまま、日本語だけでも生きていける環境で、英語を使ってかつては敵国だった国の人々と笑顔で対話し、友人として手を取り合うことができます。
日本人同士でも当然起こることですが、言葉が通じれば、誰とでも仲良くなれて、理解し合え、問題が解決するわけではありません。世界中、今も続く戦争や対立、悲しいニュースが絶えません。
それでも、言葉を通して人と人とが平和につながり、笑い合える時代を生きていること。それは、本当に奇跡のように幸せなことです。
第二言語として英語を学ぶことは、自分のルーツを大切に持ったまま、新しい言葉という「鍵」を使って世界を開き、相手を理解し、自分の思いを届けていくことです。
だからこそ私は、生徒たちに単なる試験のための知識ではなく、「自分の人生と世界を広げるための力」として英語を身につけてほしいと願っています。
ひとりひとりの目標に向かって努力する過程を心から応援し、大切に育みながら、その先にある「英語を学んでいて本当によかった!」と思える輝かしい瞬間を、これからも生徒一人ひとりと一緒に迎えていきたいと思っています。
遠い留学先から届いた写真は、私が英語を教える意味を、改めて思い出させてくれて、温かく教えてくれました。
これからも、この教室で過ごす一日一日のレッスンを大切に、子どもたちの未来に寄り添い続けていきます。







